Gの知的生活。

「知的生産」という言葉が好き。カメラや読書や、美味しい食べ物も好き。

ごんぎつねと一年生

ふと、テレビをつけたら、Eテレで「ごんぎつね」がやっていた。

f:id:gucchon-e:20211113220650p:plain

ほんの5分くらいの、イラストと読み聞かせだけのシンプルな番組。

www4.nhk.or.jp

だけど、それに妙に見入っている息子(小学一年生)。

 

(ごんぎつねは4年生で勉強するお話だから、まだわかんないよねぇ…)

と思いながらも、番組が終わってさっそく、ちょっと聞いてみた。

 

僕「どんなお話だった?」

子「いたずらしてたごんぎつねが、くりとかを届ける話。」

(えっ!「ごんぎつね」って、ちゃんと言ってる!!)

 

僕「その後はどうなったんだっけ?」

子「見つかって、鉄砲でうたれちゃった。」

(おぉ、話の筋がきちんと理解できてるじゃん!)

 

僕「そこまで見て、どんな気持ちになった?」

子「悲しかった。少し涙が出ちゃった。」

(なんてかわいいんだ!息子よっ!!)

 

…と、こんな会話をしたのでした。

 

 

一年生ながら、わりかししっかりと話の筋が分かるもんだなぁという感心と、素直に悲しいと感じられる気持ちが、親としてはとてもうれしい。

 

 

それと同時に、ふと思った。

いま、教室で4年生に教科書を使ってごんぎつねを教えたとして、この子のように話の筋をある程度しっかり理解して、こんな風に素直に感想をもてる子は、クラスの何割くらいなんだろう。

 

今回の番組は、物語の最初と最後は全文読まれたけれど、中盤はだいぶはしょってあった。でも、初めて読む分には話の筋はしっかり分かる。

何より、あらためて読むと、作品自体に心を揺さぶる力があるのを感じた。

だからこそ、一年生でも理解できたんだろう。

 

でも、机に教科書を広げさせ、教師が全文を読み上げる授業を行ったとしたら…

きっと、途中で限界がきて、頭がシャットダウンする子が出るだろう。

・文章の内容や長さに、理解力がついていけないパターン。

・国語の授業自体にやる気がもてず、漫然と授業を受けているパターン。

 他にも、あるかもしれない。

 

 

とりたてて優秀でもない我が子でも、上記のようなことを言える名作”ごんぎつね”。

 

日本全国の子供達が、この作品にふれて感情を揺さぶられ、さらに教室で先生や友達とより深く物語を理解する体験ができたら、どんなにステキだろう。

そんなことを、思った夜でした。